コガネセンガンをご存知でしょうか?
誰にも歌われることのなかったサツマイモの金字塔です。
その存在はアンサングヒーロー(歌われない英雄)として
南九州の極地に、ひっそりと存在しています。
しかし、この芋はヤブキタ茶、男爵芋に次ぐ日本の重要作物として
農水省からも評価を受けている名品種です。
私達は、この芋の存在を
少しでも多くの方に知って頂きたいと願っています。

南九州にしかない、誰もが驚く白い芋

コガネセンガンは、生芋では県外にほとんど出回っていません。そのため県外の多く方は、産地で初めてコガネセンガンに出会います。
 その時、誰もがおっしゃるのが
「えっ!?これってサツマイモ?」という驚きの言葉です。皮は白く、形は大きく、誰もが知っているサツマイモとは全く別物だと・・。
 「実は、日本で一番栽培されている芋なのです。」とお伝えすると、再び驚かれます。見慣れない芋だから、マイナーな存在と思れがちなんです。
 しかし、芋焼酎、芋ケンピ、芋飴、芋スイーツ等々・・南九州の芋製品は、ほぼこの芋が原料となっており、製品を通して日本全国の方々に一番消費されている芋なんです。

南九州だけが栽培適地

 コガネセンガンの栽培地は、世界中で南九州だけです。北限は、熊本・宮崎南部まで。鹿児島の列島最南端までが南限です。
 ごく一部の限られた地域だけが栽培地です。その理由は、気候と火山土壌の条件が揃わなければ、良い芋にならないからだと言われています。
 私達の大隅半島はコガネセンガンの名産地。コガネセンガンによって沢山の産業が誕生し発展してきた地域です。
「コガネセンガンがあるから。」という理由で、県外の会社まで工場を構えて下さっています。

コガネセンガンとは、こんな芋です!

コガネセンガンは功績も、魅力も語りつくせない芋!代表的な事だけお伝えします。

コガネセンガンは坂井健吉研究チームから産まれました。

1956年(昭和31年)。九州農業試験場甘藷研究室に赴任した、坂井健吉室長によりコガネセンガンの開発はスタートしました。
 当時の九州を覇権していた芋は「農林2号」。それはミッドウェー海戦(1942年)の年に誕生した芋です。戦中、戦後の食糧難を救うなど偉大な功績を残し続けて30年以上、九州に君臨していた芋でした。
「農林2号を超える芋を作れ。」
当時の農水省から与えられた使命は、30年以上、誰も越える事の出来ない物だったようです。坂井健吉チームは、立ちはだかる大きな壁に挑む第3代目のチームでした。

坂井先生に当時の話を聞くと、研究は凄まじい物だったようです。難しい事は良く分かりませんが、トウモロコシのF1品種に着想を得たとか。
 遺伝学的に当時のサツマイモ品種開発は、在来品種(日本に古来からある品種)の掛け合わせばかりで近親相姦に近い物だったようです。遺伝子の近い物と近い物を組み合わせると、弱い品種になる事をトウモロコシから学んだ、坂井チームは海外10か国から100品種以上の芋を集め、新品種の親となる品種を最初に作りました。
 親のサツマイモだけでも1000品種になったそうです。

1000品種の組み合わせパターンは、100万。気も遠くなるような作業を簡略化するために行ったのが遺伝子分析だったようです。
「品種改良の世界に、遺伝子分析を導入したのは私達が先駆けだろう。」
 坂井先生はそう語っていました。
分析計算を行うため、研究室には通常の2倍の人を配置。猛烈な仕事の成果が実り、1957年に「鹿系7ー120(A)×Lー4ー5(D)」という交配品種が誕生します。これがコガネセンガンになっていきます。
 現在、コガネセンガンは、ほとんどの新品種芋の親となっています。どこかにコガネセンガンの血が入っていると。コガネセンガンは、新品種を作り出す遺伝の基礎にもなっているのです。

1966年に誕生以後、コガネセンガンは農林2号にとって代わっていきます。
 今後はコガネセンガンを超える品種開発が研究者たちのテーマになりました。坂井健吉チーム解散の後、歴代の九州農業試験場の方々がコガネセンガンを超える芋に挑み続けています。
 しかし半世紀以上、コガネセンガンを超える芋は現れていません。
 なぜなら、コガネセンガンを原料とする私達、加工業者がコガネセンガンを超えるとは、どういった芋なのか?イメージすら出来ないのです。
 それほど強烈に「芋とは、こういったものだ!」と私達にすり込んでいった芋がコガネセンガンなのです。

コガネセンガンという名前は、開発者「坂井健吉」先生が命名しました。
「童話、花咲じいさんで、犬が"ここ掘れ、ワンワン"というと黄金小判がザクザク出てきた。そんな風に農家達が自分の畑を掘ったら黄金小判がザクザク出てくる!と思ってくれる芋であって欲しい。黄金(コガネ)が千貫(非常に大量に)大地の中に眠っている。そんなイメージなんだ。」
坂井先生は、そういう風に語って下さいました。

私達とコガネセンガン

コガネセンガンの多大な功績を讃え、当工場敷地にはコガネセンガン生みの親、坂井健吉先生の感謝の石碑を建立しています。除幕式には、ご本人にも来ていただき、日本全国の芋関係者が集まって下さいました。
 この式典の二年後、坂井先生は永眠につかれました。
坂井先生達を始め、偉大な先人達が残してくれた「コガネセンガン」という名品種を絶やさぬように、私達は守り続けていきたいと思っております。

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